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Japanese

【 Comment評論 ≫ ≪挨拶≫ 】 

マルチナ・ミュンヒ博士

マルチナ・ミュンヒ博士 

挨 拶

 

1919年から1933年までの間、「デザインのための大学」としてバウハウスは建築、建設 及び都市計画の建築的かつ、美的概念に革命をもたらしました。

20世紀の頭脳集団や実験場所として、それはドイツをはるかに超え、近代運動(モダニズム)に影響を与えました。バウハウスのコンセプトは今日でも新しい生活スタイルや仕事、芸術とデザインはもちろんのこと、明確な線、機能性を象徴しています。 正にこの意味で、私達は日本のアーテイスト嚴愛珠の作品に出会います。彼女はミニマム化するという方法で、私達にそのシンプルさの魅力を感じさせてくれます。

 

ヴェルダー(ハーフェル)市美術館KUNST-GESCHOSSでの今回の嚴愛珠展で、バウハウスのコンセプトの国際的な輝きが、非常に特別な芸術的方法で、鑑賞者の目に見えるように、また知覚できるようにできた事を私はとてもうれしく思います。

この展覧会は、建築文化、デザイン、ダンス、美術それぞれの分野で、ブランデンブルグ州で開催される多様なイベントに、再び国際的な一面をもたらし、バウハウス100周年記念のお祝いとなります。 しかし、それはまた、少なくとも文化の分野では、日本とブランデンブルグ州がお互いにそれほど離れていない事を示しています。

この展覧会を可能にし、その創造を助けてくれた全ての人達に私は心から感謝致します。この日本のアーテイスト嚴愛珠の展覧会は、ヴェルダー市やブランデンブルグ州だけでなく、大きな関心を引くだろうと私は確信しております。

科学、学術研究、文化大臣

マヌエーラ・ザース

 

マヌエーラ・ザース市長

クリスチヤン・グローセ副市長

挨 拶

 

約11年前、私たちはタウン ギャラリーでアートを展示するのに非常に良い場所を作りました。これまでの展覧会プログラムは学芸員による地方、国内および国際的な展覧会で構成されてきました。「Form-Light-Shadow」「形・光・影」展を開催することで、ドイツで行われる100周年バウハウスの公式祝賀行事に参加しています。

バウハウスは主に典型的な建築様式と関連があります。しかし、それは平らな屋根と立方体の形をした家屋だけではありません。芸術と職人のコラボレーションが重なるという考えは私たちの日常生活にも影響を与え、それは世界中に見られます。

 

堅実な素材、優れたデザイン、固有の価値、芸術的期待を担うオブジェは、バウハウスの建築と同じように成り立っています。本質的なものへ向かって削減することは、バウハウス教義の永続的な考えのうちの一つです。日本のアーティスト、嚴愛珠の作品はこの考えを表しています。

この祝賀の年にヴェルダー(ハーフェル)でこの展覧会を開催出来る事に私達は歓びを感じます。私たちの市立美術館“ クンスト・ゲショース”と私たちの素晴らしい町ヴェルダー(ハーフェル)で興味深く楽しく滞在されることを望んでおります。

マヌエーラ・ザースWerder(Havel)市長

クリスチヤン・グローセWerder(Havel)副市長

フランク・W・ヴェーバー 

フランク

形―光―影 –異なった考え

嚴愛珠作品展について                                                                         

 

基礎としてのバウハウス

 

「バウハウス」という言葉を聞いた時、私たちは何を思い浮かべるでしょうか?ヴァイマール、デッサウ、ベルリン。バウハウスに関連する特定の人々、平らな屋根の白い立方体、必ずしも快適ではないが高級な家具、特定の実用性とデザインを備えた高価な工芸品、すぐには理解されないが自己意志でビジュアル的減少に向かう芸術、演劇、独自の表現で踊るダンスなど。これらの列挙されたものは正当に認められています。これらを熟考する人々の知識のレベルによって異なりますが、任意に拡張することも出来ます。

1919年ヴァルター・グロピウスが新しく設立された「ヴァイマール州立バウハウス」を引き継いだ時、その内容と目的は大まかに定式化されただけでした。

伝統的な教育スタイルに疑問を呈したくない、また学校のマイスターと実質的に対立したくない一部の熟練の教授たちは、このようにあらかじめ決められていたので、ヴァイマール・バウハウス時代に負担をかける事になりました。

学校としてのバウハウスは比較的短期間しか存在しませんでした。ドイツで3回の解散と2回の立て直しの後、14年間に及ぶ教師と生徒のコラボレーションによって、手工芸的、職人的で形式的な芸術的動機(目的)が生まれました。その内容は統一されたアートクラフト建築に基づいたものです。

この異分野にまたがって理解することは全ての参加者の相互作用として常に探究されてきました。1928年から第2代校長ハンネス・マイヤーの指導の下で写真や美術造形のワークショップのような新しい分野や、様々なワークショップの紹介が見られる事となります。当時、ファイニンガー、クレー、カンディンスキーなどの国際的に認められた芸術家達は、新しい物質的なライフワールドを形成するための様々な事柄を提示していました。クレーとカンディンスキーはいかにして彼らの抽象絵画と世界の特定の見方を理論的に実証するか、また、自由で、実験的で、かつ、方法論的なアプローチを通して、いかにして生徒達を現代の教育芸術に対して敏感にさせるかを理解していました。1), 2)

オランダの芸術運動「デ・ステイル」やソビエト・ロシアのプロレタリア革命的なシュプレマティズム(絶対主義)の流れのような国際的に影響をもつ傾向は「アートとテクニック – 新しい統一」というキーワードの下で、バウハウスでの芸術制作への入り口を見出しました。これ等の影響とバウハウスの風土は、学習者たちにとって個々の、また、多元的なスタイルを表現するために決定的なものでした。

バウハウスの生徒たちジョセフ・アルバース、ヘルベルト・バイヤー、ヒンネルク・シェパー、ヨースト・シュミット、グンダ・シュテルツエルは(生徒の期間の後)バウハウスでのマイスターになりました。これらの生徒達は以前にクレー、カンディンスキー、イッテン、ファイニンガーの下で学んだのでした。彼らはバウハウスでのマイスターの新しい世代だったので、若きマイスターと呼ばれ、自分たち自身の方法論を持っていました。そしてクレー、カンディンスキー、イッテン、ファイニンガーの考えをさらに発展させました。彼らが教えた事により、私たちは今日、世界的規模でバウハウスと結びついているのです。この新しい世代は一度だけ存在しました。なぜならバウハウスはベルリンで永久に解散したからです。(生徒から先生への連鎖は続くことはありませんでした。)これらの若きマイスター達は後に世界的に様々な研究施設で教え、バウハウスの考えを全世界に広めました。最も重要な人物はジョセフ・アルバースでした。

統一的な「バウハウス芸術」と単一の「バウハウス様式」はそれ以後進化はしていません。バウハウスは芸術の他分野にわたる理解を促進し、その前衛的な特性でもって、毎日の私たちの生活の中に入り込んでいます。この持続を可能にしたのはこの過程におけるそれぞれ個人の意志によるものであり、また、1933年以降、数人のマイスター及び教授によるものであり、彼らが米国に新しい様々な教育センターを設立し、建築作品を造り、世界的規模でそれを可能にしたことに対して深く感謝の意を表します。

 

この展覧会開催に至るまで

 

2010年に私は日本のアーティスト・グループ「A-21」の展覧会を開催しました。展示作品の中にアーティスト嚴愛珠の「Work 0811 – Ta50」(下図参照)が含まれていました。このミニマリズムの作品は他のアーティストの作品とは際立って違っているのが印象的でした。2年後、私は嚴愛珠と彼女の作品を大阪で個人的に詳しく知る事となりました。彼女自身の言葉によると、若い頃から幾何学、カンディンスキー、モンドリアンに興味があって、彼女の最初のインスピレーションはカンディンスキーの論文「点と線から面へ」から得たと、それは前国立国際美術館館長宮島久雄氏によって訳されていて、近年文庫化されたその本を彼女は彼から贈呈されました。3)

彼女は自分の作品を”Form and Shadow” (形と影)と呼んでいますが、その中の「Work 0811-Ta50」は赤色を使っており、それは殆ど例外的なものです。白と黒の強いコントラストへの極限までの減少と,基本的な幾何学的要素のミニマム化は非アジアの鑑賞者を魅了しています。そこには必然的にバウハウスとの関係や前章で述べた影響が感じられました。 最も普遍的な形は、シュウプレマティズム(絶対主義)のもっとも過激な作品として、カシミール・マレーヴィッチが黒い四角で描いています。

私はすぐに、ジョセフ・アルバースとのつながりをはっきり認識することが出来ました。彼はオーソドックスでない自分独自の芸術教育方法で知られていて、最も実験的で先見の明のあるバウハウスの教師の一人でした。色の知覚、空間の白黒の視点、そして色と背景の組み合わせに関する彼の教えは、1960年代のオプティカル・アートへ向かうスタイルのインスピレーションとなりました。

ジョセフ・アルバースは1933年バウハウスが解散した後、ドイツを去りました。

彼は米国ノースカロライナにあるブラック・マウンテン・カレッジ(美術学校)に行き、その後イエール大学に移り、また、ウルム造形大学の客員教授となりました。彼はデッサウのバウハウスの教授法に従って教えていました。カンディンスキーの「点と線から面へ」からの最初の衝撃は、嚴愛珠の芸術作品を理解するうえでの鍵となりました。 そして彼女にとってこの衝撃が必要だったのは、ただただ、バウハウスのミニマムへと向かう思考が、すでに彼女が実践してきた禅(仏教)の真髄でもあり、彼女のこれから先のさらなる作品づくりに影響を及ぼしているからです。

 

無色―色―非色

 

嚴愛珠の作品は知性から構成されています。彼女の表現の基礎的な要素は、「丸、三角、四角」と「白、黒」です。これらの表現には彼女の絵画宇宙の根源的な音色が隠されています。白と黒が色であるかどうかの概念は日本の感性で説明されなければなりません。全てのスペクトルの色を同じエネルギーで混ぜ合わせると白が作成されます。従って白は全ての色と組み合わせると同時に無色になります。色から脱出するという性質は白を特別な色にします。それは背景の物質性をはっきりと強調し、そしてそれは非存在、誕生、始まり(幼少)からの抽象概念を含んでいます。私たちの環境は混沌とも言える無限の様々な色で輝いています。白は色から脱出するので、混沌とは正反対になります。

光線が当たる場所では色が作成されます。黒は光を全て吸収することによって作り出されます。色は全て光の中だけで知覚され、目に見える光のスペクトルのどんな色も黒いものには反射されません。従って黒は白の正反対で、非色になります。この吸収によって黒の後方引力と深さが作り出されます。もし全ての色がパレットの上で混ぜ合わせられると、それらは灰色になります。グレーは無限の色の多様性の混沌を表し、白と黒の間に立っています。最も純粋な白は常に幻想です。私たちのまわりの環境にある白はいつも不純が混ざっています。白とのつながりが近いほど私たちの環境は明るくなり、そして影がより一層強くなります。

 

光のある形から影へ

 

嚴愛珠の作品は知覚芸術です。 まず最初に私たちの目は基本的なグラフィックな要素と白と黒のコントラストによって刺激されます。黒の深さの印象とは別に、黒色は表面が出ているのか、奥に引っ込んでいるのか視覚で判断することは出来ません。全体的なデザインは特定の視覚的効果の基礎となるものです。芸術家は芸術、技術の可能性の世界で自立的で芸術的な道具として光を受け入れます。影は美的現象となり、彼女の表現の可能性の重要な要素となり、それによって強いコントラストの主たる印象の重要性は減少します。結果として生じる影の灰色の部分はこのコントラストを薄れさせます。光を通して影が形成され、その影は立体性を生み出します。そして空間を使って作品の周りに影を作り出します。彼女は点と線から面へ移動し、別の次元に入ります。絵画的には、これは消失点(光源=中央照明)と遠近法の放射状の構成(影)で説明出来ます。(次ページの写真参照)

光の位置に応じて、ダイナミックで絶えず変化する知覚画像が形成されます。光源の数が増えれば影は視覚的に増える現象となります。日本の審美家は歴史的に意識して光と影を感じ取り、審美的な目的のために影を使う方法をよく知っています。5)

光はアート作品に展示空間を実際に総合するものです。自然の太陽の移り変わる動きを、嚴愛珠の作品にダイナミックで絶えず変化する外観の光源として利用する事を、考えることも出来ます。光と影の浸透と重なりは鑑賞者に豊かな感覚を与えます。 白と黒に加えて黄色と赤色を使っている彼女の作品ではその外見は絵の内容と構成へ光学的に視線が移ります。これらの作品ではアーテイストは点と線から面へというもともとのテーマに忠実でいるのです。

単純化されたイメージにおいては、光による空間の拡大と影の視覚的な出現は必然的に減らすこととその複雑さを私たちに認識させます。これはまた、バウハウスの異分野にまたがる、ミニマムな理想を表しています。

1937年にジョセフ・アルバースは次のように主張しています。過去においては、私たちは芸術の機能に日常の経験から切り離して慣習的な意味を与えてきましたが、芸術は健康で素朴な人々が住むところにいつも存在するのです。生徒が私に何を教えるのだと尋ねたら、私は答えます。貴方たちの目を開かせるためにと。6)

 

記念年のこの展覧会

 

ドイツと世界でバウハスの100周年記念の構想が新規に促進された時、この文脈で嚴愛珠の作品展を提示することは私にとって決めていた事でした。

私の最初の電撃的問い合わせに対して、アーティスト嚴愛珠の承諾をすぐに受けました。ドイツと日本双方の財政的、および難事業遂行努力はこの展覧会の開催計画を妨げるものではありませんでした。2018年という早い時期に、この展覧会は「Bauhaus Verbund 2019」による年次プログラムにすでに含まれていました。ドイツの日本大使館には推薦された後援を引き受けて頂きました。私たちはドイツと日本の両方に後援者を見つけました。ドイツ側ではヴェルダー(ハーフェル)市と多くの個人的に、財政的にこのアイデアを支えてくれた後援者の方々に感謝申し上げます。彼らのおかげでカタログと展覧会において「Form-Light-Shadow Laboratory」(形―光―影 実験室)を作ることが可能になりました。日本側では経済的、物質的に、また理想的に全てを支えて頂いたアーティスト 嚴愛珠自身とA21アーティスト・グループに感謝の意を表します。

 

最後に私は最初からもう一度振り返ってみたいと思います。「バウハウスという言葉を聞いたとき、私たちは何を思い浮かべるでしょうか?」

異分野にまたがって考え、私達自身を変えてみよう。シンプルなものに対する恐れに打ち勝つことを学ばなければなりません。

                       展覧会キューレーター

                                            ヴェルダー市美術館キューレーター

                                                                                Kunst-Geschoss

 宮島久雄

宮島久雄 

宮島久雄

「 嚴愛珠の幾何学的抽象 」

 私はバウハウス叢書の一巻にはいるカンディンスキーの著書「点と線から面へ」を翻訳したことがあった。芸術の科学を志向する彼はそこで、形態を点、線、面という幾何学的要素形態に還元し、形態心理的な響きを感じ取ろうとした。しかし、カンディンスキーは著書の挿図として、点、直線、あるいは正方形、正三角形などの幾何学形態を描くことはあっても、それだけで実作とすることはなかった。あくまで分析の過程での作品であった。

 嚴さんの作品はそれに比べると単刀直入に基本的な幾何学形態を目指している。そこにはカンディンスキーのような分析的、過程的な段階は感じられず、直感的なものがあるように思う。どちらかといえば、オランダのデ・ステイル、例えばモンドリアンの方法に近いといえる。たまたまカンディンスキーの「点と線から面へ」が文庫化されたのでお贈りしたのだったが、モンドリアン、やドゥースブルフの著作のほうがよかったのかもしれない。泉大津市など大阪府下の公共施設に入っている多色な作品を見ると、モンドリアンの晩期作に見られる音楽的な響きが感じられので、とりわけその感が強い。これからもより一層嚴さんらしい音楽を響かせる透徹な作品を期待したいと思う。

 

                                 

 (前 国立国際美術館館長・前 高松市美術館館長)

Kasia Kujawska-Murphy

Kasia Kujawska-Murphy

「 嚴愛珠  - 芸術は永遠に生きています 」 

(日本の現代アーティスト)

                        

 

芸術理論家はポピュラーな - しかし神話に関しては不必要な質問をします。

たとえば、抽象芸術と具象芸術の平等性とか、人生の選択をする必要性とか。

でも最後に、私たちは芸術的な論議がなぜ重要なのかを尋ねることができます。

嚴愛珠の芸術は、知性、熟慮 と感情。この両方の文脈の中でのコミュニケーションの最良の方法として抽象の宇宙を実際に実行するという現代の問題を見せています。 このような種類の芸術は、知性と魂を統合する役割についての意識を高め、続いて文化的論議 対 社会的論議においてのさらなる芸術分野の意識を高めます。 最も重要な事実は、アートは 再生と活性化、そして歴史的な知識、そしてその背景にあるその土地の文脈とメッセージを通じて 今 生き続けているという事です。 このアートは、産業主義の倫理 対 その土地と何世代にもわたる価値観についての論議をも伴います。

バウハウスの生誕100周年はそのような論考を証明しています。

 

私は何年も前に嚴愛珠と出逢いました。そして、彼女の作品がとても印象深かったので、鮮明に記憶に残っています。 彼女は国際展覧会で広く出品しています。たとえば ドイツ、フランス、ポーランド、中国、台湾、日本 - 世界中いたるところで。

嚴愛珠の作品はミニマムなものですが、鑑賞者だけでなくアート界にもとても強いインパクトを与えます。 彼女は次のような芸術分野を探求しています:絵画、レリーフ、 壁面の立体、オブジェなど 。それらはとても重要です。なぜなら幾何学的形態、白と黒の色のような最小限の材料で嚴愛珠は宇宙全体を描き、さらに鑑賞者が考えたり瞑想する空間を与えてくれるからです。

それぞれの反対要素のペアは、その間にさまざまなエネルギーの可能性を秘めています。白と黒の間にもあります。すべての単色にもあり得ます。

私たちの周りの世界のほんの少しの部分、つまり、私たちが夢見ている世界:山、海、野原、森林など - は幾何学的形態の間にあります。 芸術家たちは世界と人々をとても尊敬しています。 彼女の作品を見ているとすべての人は自分の色、自分の考え、自分の内面を熟考することができます。

 

視覚芸術には翻訳を必要としないという利点があります。 直接に視覚で説得

することが最も効果的です。だから人は芸術的な手段を用いてコミュニケーションをとろうとしなければならないのです。

彼女の豊かで多様な芸術的経歴はそのことを証明しています。 異国の遠い文化に接近しようとする集中的な作業は、距離や様々な伝統にかかわらず、グローバルビレッジ(世界村)を私達の家にしようとする一連の行動の一部です。 お互いを知ることほど他に距離や敵意を取り除くものはありません。 その後、理解したり受容したり出来るようになるのです。

芸術家の芸術観念とその作品は、私たちの人生の計画や夢は、性別、人種、

宗教、場所によって異なるわけではなく、ラスコーの時代から殆ど変わっていないことを証明しています。 このビジュアル コミュニケーション言語は、一つの国際的なコミュニケーションなのです。それは私たちは孤独ではない、いつも一緒にいるのだということを周りの人々に感じさせます。

特に嚴愛珠の幾何学は、神様からの贈り物です。それは全世界の人々が魂と心で感じることができる普遍的な道具であるからです。 つまり、 幾何学と様々な構成はそう簡単ではありません。 と言うのは 私たちが色々な作品を瞑想する時、それぞれの幾何学的な形と色は(内側と外側、ポジティブな空間とネガティブな空間、第一プランと第二プラン)私たちが取り入れることが出来る巨大なエネルギーを持っているからです。しかも、私達は自分たち自身の知的経験によって様々の要素や様々なペアの要素を超えるもの全てに意義を与えることが出来るのです。

 

私は "知性"という言葉を述べました。 幾何学的オブジェと絵画、つまり、そのそれぞれの人工産物は明らかに知的なものを表しています。 それらは人間が存在して以来、全世界のツール(道具)として最も困難なものでありながらも普遍的なものです。 最も美しい芸術表現の神聖な面は、それぞれ個別に私たち自身を見出すことを可能にはしますが、あらかじめ準備した答えを出すことはありません。
 しかし、その代わりに、誰もが数学や幾何学のような科学を通して世界の様々な要素の力を感じることが出来ます。

 

特に嚴愛珠の作品を通じてそれを感じることが出来るのです。

嚴愛珠の芸術に隠されたエネルギーは強く、そして彼女の芸術を熟考するたびにそれはより強くなると言えるでしょう。毎回、私達は異なった文脈の中で自分自身を発見します。 また、毎回私達それぞれは 違うように、また、終わることなく、これらの作品の言わんとする事を感じます。

なぜならそれらは永遠に生きているからです。

 

それこそが、嚴愛珠によって創られた芸術の力なのです。

 

(ポーランド ポズナン芸術大学 准教授)

(ポーランドとイギリス在住)

中辻悦子

中辻悦子

「嚴さんの「丸、三角、四角」

 

我々が色を見たり感じたりする時必ずそこには形が存在します。

色はそれ自体で存在することはむずかしく例えば大空一面の真っ青な色にしても地平線があったり山の稜線があったり建物や木々の色や形と相まってその美しさやスケールを感じることになります。無数の色や形に溺れながら我々は生活していますがその中でもすべての色を吸収してしまう黒とすべての色を反射してしまう白は心の表現として最も精神性の強い色と言えるでしょう。

 

嚴さんは中国伝来の禅の修行をしながらこの黒と白の世界にたどり着いたのだと思います。そして彼女がよく使う「丸、三角,四角」の形もその修行から得た宇宙観を表現するための最もシンプルな基本形だったのでしょう。そこに光と陰の要素を加えることで次元の高い世界が生まれています。

空間意識の強い表現はグラフィカルな処理と相まって緊張感のある作品になっています。単純な表現は揺るぎない思想に支えられているからこそ見るものに感動を与えてくれるのです。

 

何事にも積極的で努力家の嚴さんが世界に向かって羽ばたかないはずはないと思っていた矢先、今回の「バウハウス100 ジャパン」プロジェクトへの招聘に繋がったことはとても喜ばしいことです。

 

バウハウスの基本的な理念や表現と嚴さんの「丸,三角、四角」がどのように対峙するのかとても興味深いです。

多くの反響が得られることを期待しています。

 

                                                            (美術家、 現代美術研究会 代表)

 

木村重信

木村重信

「 引き算型画家 」の典型

 

 嚴愛珠さんは抽象絵画を長年追求しているが、その抽象はわが国で一般的な「熱い抽象」ではなく、比較的すくない「冷たい抽象」、すなわち幾何学的抽象である。そして近年、彼女はひとつの究極的スタイルに到達した。それは白い平面に、黒い四角形を描いたり浮き出したりすることである。

 なぜ四角形なのか。最も基本的な線は直線であり、水平線と垂直線で構成される四角形は、人間の意志の最も明快なあらわれであるから。ではなぜ黒く塗るのか。黒は感情的要素が最も稀薄で、人間が用いる色彩のなかで最も謙虚であるから。この黒い長方形が時には浮き彫りとしてあらわれるのは、周囲の空間と交流するためである。

 このように考えて、彼女は絵画から一切の自然的要素、文学性、色彩、情緒を取り除き、時には浮き彫りによって環境化して、この上なく単純で、純粋に知的な絵画を創造した。

それはシュプレマティズム(絶対主義)を提唱した、ロシアのK.マレーヴィチに近い。

 画家にふたつの型がある。不必要なものを「取り去る」という方法で究極の形態を求めるタイプと、種々の要素を「つけ加える」ことによって絵画を構成するタイプとである。

前者を引き算型、後を足し算型と呼ぶならば、嚴さんはまさしく引き算型の典型である。かくして彼女は想像力の飛翔をえらばず、単純な形態と単一な黒色による、禁欲的な絵画を形成した。この「取り去る」は「捨てる」と同義であり、彼女が修行する禅や、彼女が傾倒する老子の思想に通じる。

( 美術評論家)

【2016年】

            

Dr.GunterNimmich  グンダ・ミニッツ

嚴愛珠の作品「白と黒」は、古来から存在するモノクロのマジックであり、それによって見る者を魅了し、白いスクリーン上に最小限の要素で語りかける。

最小限の要素―立体(正六面体と円筒形)が空間を表現する要素として設定され、繊細な黒の線がスクリーン(平面)を小分けしているのである。

 又 わずかな赤色の配置で全体を彩色的にし、色や形をあまり使わないことで見る者のイメージをより膨らませている。

幾何学的な立体構造を用い、意識的に作った影を白い平面にレイアウトし、色々な方向から光を与えることによりスクリーン(平面)の上に、相対しているさまざまな要素が共演し、彼女の作品に優美さと崇高な美学を感じさせているのである。

そのようにして生まれたこの芸術作品は、精神的なバランスと明瞭で単純な構図で構成され、一般的普遍的な前提からより特殊的な冷たい抽象の観念をつくりあげ、その作品は感性に満ち溢れた作品となっているのである。

          

ドイツ在住 ( 美術評論家 )

​【2013年】

元永定正

 嚴 愛珠さんは好奇心旺盛で行動力のある人である。

 

現代美術をしながらお寺の水墨画を描いたり、そこで個展をするというが街の画廊でやる個展と違った面白い世界が出現するだろう。

 瑠璃灯制作についても、嚴さんに頼めばきっとうまくゆくといった安心感を萬福寺の赤松達明禅師が感じられていたのではないかと思う。

 

嚴さんの作品は白いキャンバスに小さい白い四角い形をどこかにくっつけるだけだが、小さな四角い形が赤だったり黒だったりすることがある。

ただそれだけなのに、なんだか面白い不思議な空間が広がっていく。

それだけだから作品はドライな感じである。 それなのになぜか格調が高いのはどうしてなのかと思ってしまう。

 

彼女は2007年の神戸ビエンナーレに出品した。コンテナの中に白い風船をたくさんぶら下げた作品だったが制作は大変だったそうだ。 しかし会期中は会場に毎日出向いて見に来た人たちとのコミュニケーションを楽しんだそうだ。

嚴さんは苦しみを楽しむテクニックを持っているようだ。いつも前向きに自分の可能性をどこまでも追求してそれを楽しむ心があるからだろう。

 また、公募展に落選したり市展に出品して一席になったりしている。その度に喜怒哀楽はあるのだろうけれどそんなことは一向おかまいなしに、次の問題に動いて行く。 嚴愛珠さんはたくましい作家魂をもっているのだろう。

 

( 美 術家 )

【2009年】

​天真院 家永宜勝

嚴愛珠さんとは随分と長くこの萬福寺に参禅されている姿を見かけており禅大学にも参加、いろいろと学ばれておられる。こだわらない心をもち、明るく大らかで周りの人を楽しくしてくれる、そんな人柄でもある。

 

開山堂内の瑠璃灯修復を黄檗宗前宗務総長 赤松達明禅師と共に嚴さんにお願いすることになり、現代アートを中心に活躍されていると聞いていたが、引き受けていただいた。

赤松達明禅師のもと、禅の教えとともに一枚の絵の中にも描くこと以上の事柄を学ばれたことであろうと思う。 

表現するには変わりはないと努力と工夫を重ねられ、随分と苦労されたことであろうが永代にわたり継がれてゆく素晴らしい作品をつくりあげてくださったこと、大変嬉しく思う。

 

 このたび、瑠璃灯の絵の完成を記念して、萬福寺において個展をされることは誠に嬉しい限りである。

枯山水の石庭を作庭、この静けさ、おごそかさ、ことりのさえずり、すべてをアートしたいと聞いたときは驚いたが、またこのいにしえの空間と現代アートとの融合には、どのようなものになるのかと非常に興味をいだいている。

 

無限の可能性を秘めている嚴さんにはもっと、もっと素晴らしい自分の世界を創り上げ、成長してゆかれるようにと念じている。

                   

                    黄檗山萬福寺 塔頭「天真院」住職

                              ( 禅  師 )

                               ​【2009年】

秋吉和夫

  嚴愛珠の作品は、一言でいえば知的な「冷たい抽象」といえるだろう。戦後日本の抽象芸術を代表する関西の「具体」と呼ばれたグループ。今やGUTAIとして世界的に認知されている。 

師・新制作の伊藤継郎歿後、その具体リーダーとして吉原治良とともに活躍した元永定正に師事した作家は独自の抽象表現を展開した。ここに紹介する40点ほどの作品は大きく分ければ4つの傾向がみて取れるように思われる。
 

 ”OUT OF.....”のタイトルのシリーズでは、構成・形態の基本である黄金分割と色彩のバランスを追求している。
”心華” ”心涛”シリーズは、J.ポロックが始めたいわゆるドリッピング(滴らし)による偶然的な表現の追求であり、日本的ドリッピングといえる墨流し技法でも同じ効果を追求している。これは瀧口修造のデカルコマニーにも通じるものである。 偶然の効果を楽しむことは、換言すれば精神の集中統一をともなう一瞬の手仕事でもあるといえる。
 ”FROM.....”シリーズは、作家の言葉によれば「人間・空間・時間」を表現しようとするもので、タイトルにこめれれた作家の個人的な想いを含めて、「具体」の精神的凝縮といえるかも知れぬ。
 ”WORK"はペーパークラフト風の立体作品であるが、しっとりした静謐感が魅力である。”ELEMENT” ”VARIATION”を見て連想したことがある。床や繊毯のゴミをとるために粘着紙をセットしたローラー式の道具があるのだが、それを擦って付着したゴミがまさに人為を越えた抽象画のように見えることがあるのである。


 最後の3点は、ヴァザレリ風の視覚錯誤とダリ風の幻想を組み合わせたような魅力に満ちた作品である。
これらの作品群をゆっくりと眺めていると、とても一人の作品とは思えない気もするのだが、作り手の楽しい心が伝わってきて何やら羨ましい気にさせられる。


 「残して起きないものがある / 私の手を通して/ 私の心を通して/ 私の生活をとおしての/......作品を絵を描く喜びを身につけたことは/ 自分にとって何と尊いことか」
この感慨がしっかりと伝わってくる作品群である。 

                         

( 美術評論家)

​【2005年】

                    

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