Japanese
【 My words ≪つぶやき≫ 】
『 2018 ギャラリーCASO 個展を終えて・・・ 』
こ二十数年無彩色の色にこだわり、単純な形態「形と影」をコンセプトとして自作品に展開してきました。
今回の個展は【〇△口】を作品の中に展開、白・黒・グレーを影のバリエーションで表現致しました。 武蔵美展には白・黒を【白の中の白】【黒の中の黒】として表現致しました。 自分なりに漆黒の黒色を作り試みましたが、ホルベイン会社の方から「漆黒の黒色」を試品として戴き、普通の黒色と比較できるように構図を考え小品を制作しました。普通の黒色がグレー色に見えるくらい漆黒の黒色に心奪われましたが、魅力的な色だけに塗り方には試行錯誤の連続でした。
無我夢中三昧の世界に自分を置き、表現できる事はとても尊く幸せなことだと思っております。
「むさびだより」寄稿文
いったい 何のために生きているのか
ふと 感じる瞬間(とき)がある
自分とは何者だろうか……
一期一会……
無心……
即今……
無常迅速……
何ものにもとらわれず
縛られず 執着せず
あるがままに生き
あるがままに存在する
【2016年】
ひとつの 《点》
点から《線》
線から《面》 へと
四角《□》
四角《□》から三角《△》
三角《△》から丸《○》
丸《○》は円相
円相は真理、仏性、全宇宙
《□》、《△》、《○》は
私の作品の永遠のテーマ
【2016年】
ひとつの てん 《点》
てん 《点》 から せん《線》
せん《線》から めん《面》へと
ひとつの かたち《形》
かたち《形》が織りなす
様々な かげ《影》へと
ホワイト《白》
ホワイト《白》から グレー《灰色》
グレー《灰色》から くろ《黒》へと
ボーッとしていると
混沌とこの様なことが湧いてくる
私にとって一番の至福のひととき
【2016年】
残しておきたいことがある
塗り描くことがデッサンか
消し描きおこすことがデッサンか
互いに果てしもなくで双方の繰り返しで
なんだかとてもさびしく
とてもむなしく思った日々さえあった
何のために絵を描くのか
その ときどきに・・・
残しておきたいものがある
真夜中に無我になりつつ
キャンバスを前に浮遊すること以外何も考えず
ただ ただひたすらに
無意識に生み出る作品を・・・
残しておきたいものがある
私の手を通して
私の心を通して
私の生活を通しての・・・作品を
絵を描く喜びを身につけたことは
自分にとって何と尊いことか
【2005年】
『 私の作品について… 』
モノクロすなわち【白】【グレー】【黒】の無彩色の魅力にとりつかれ、姿・形態のバリエーションの観点にて、特に無限の『間』、『無』との対峙をもっとも重視して自己作品を展開してきました。
『時間』、『空間』、『人間』という、この3つの『間』の追求は計り知れないものです。
『空間』一つ取り上げて自分の生活のまわりを見ましても、非常に大切な事柄だと感じておりますし、絵の中の大作・小品にかかわらず、『空間』と『無』は画面構成においても重要な事柄だと感じております。
色彩での無彩色の色は、これもまた私にとって画面構成においてもっとも興味深い色です。
白からグレー・黒へと移行する段階の中で【黒】の色ひとつを取り上げても神経を使う色で、廻りの質感・塗り方の微妙な違いによって、暖かくも冷たくも、またダイナミックに、知的に、繊細に、そして強くも優しくも感じられます。
それゆえ、私にとって無彩色の色は描き尽くせない程、魅力ある色です。
近年はより一層、平面・立体・単純なフォルムへと内面を重視した傾向にこころひかれています。
『三昧』・・・ただ ひたすらに・・・ということこそ 自分にとってこのうえなく尊いものだと信じて確かな存在ある作品を制作し続けたいと願っています。
【2005年】
『 いにしえのかほり 』
晩秋のある日、今は兄家族が住んでいる私の育った家の改装に立会う為に足を運んだ。
十数年前の都市再開発で町並みはすっかり変貌し、亡き両親が店を構えていた商店街は街全体がひっそりとしていた。
この寂れた街の店の軒下に掲げられたセピア色したユーモアたっぷりの屋号より大きく描かれた看板だけが「まだ、頑張っているよ」とばかりに私に語りかけている様に思った。
看板は街の顔であると感じながら、心中は混沌として切ない思いに溢れていた。
幼き頃はケンパ、石蹴り、ゴム飛び、ベイゴマ、古新聞で折った紙飛行機など、なりふりかまわず夕暮れ時まで遊び廻り、よく両親に叱られたものだった。 電柱、マンホール、神社の石畳さえ、ひとつひとつ鮮明に当時を思い出させてくれていた。
私の脳裏にある幼き頃の光景は、貧しい中にも人々も街々も活気溢れんばかりであった。
記憶の糸をたぐりよせながら、兄の自宅前にゆったりと佇んだ。
築五十有余年は経っているこの家は、私の思い出がいっぱい詰まっている。四畳半の私の部屋は小さいながらも自分の部屋として与えられ、数ヶ月かけてひとり改装した部屋である。事あるごとに刻みこんだ柱の傷は、ジオラマの世界に引き込み、タイムスリップさせてくれ、時の流れを巡らせてくれていた。
ふと、背後よりの若い棟梁の声で我にかえった。日本建築がとても好きだと言う彼は、「木は生きており、人と同じ呼吸をしている。
ほら、匂ってごらん」と私の手のひらに倉柱の一片を手渡してくれた。 それは何とも言えないくらい檜の良い匂いが漂っていた。
我が家の歴史と共に生き抜いたこのひとかけらの、いにしえの檜のかほりは、時の片鱗をも新鮮に感じさせ、木々のぬくもりは私の、心の中をも愛おしさに満ち溢れさせてくれていた。
【2003年】